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青山二丁目劇場 Voice Fair 2009 朗読劇「天切り松 闇がたり」 11月6日

開催日:2009年11月6日(金)
開催場所:東京都 千代田区立内幸町ホール
時間:18時00分開演(17時30分開場)
料金:3500円
関連web: @電子チケットぴあ (http://ent.pia.jp/pia/event.do?eventCd=0935823)
内容:
青山二丁目劇場 Voice Fair 2009
朗読劇「天切り松 闇がたり」浅田次郎・原作 集英社刊

青二プロダクション主催 朗読劇

[演出]香西久 [出演]柴田秀勝 / 松野太紀 / 青野武 / 草尾毅 / 磯部弘 / 渡辺美佐(声優) / 神田朱未 他

公演期間: 2009/11/6(金)~2009/11/7(土)

会場:千代田区立内幸町ホール(東京都)

Pコード 397-774

席種・料金:全席指定 3,500円

2009年11月6日(金)開演 18:00 / 開場 17:30
2009年11月7日(土)開演 13:00 / 開場 昼12:30
2009年11月7日(土)開演 17:00 / 開場 16:30

問い合わせ先 :青二プロダクション03-3479-1797

鈴木真砂女俳句朗読会

開催日:2009年11月6日(金)
開催場所:東京都 中央区京橋図書館
時間:15時00分開演
料金:0円
関連web: みんなの子育てひろば“あすなろの木” (http://ameblo.jp/asunaro-kids/entry-10363733185.html)
内容:
鈴木真砂女俳句朗読会

日時:11月6日(金)PM3:30~

場所:中央区京橋図書館

鈴木真砂女(すずきまさじょ) (1906年~2003年)

鈴木真砂女。恋の句となればこの人は外せないだろう。波乱の恋に生きたその人生は、丹羽文雄の小説「天衣無縫」や瀬戸内寂聴の「いよよ華やぐ」に書かれつとに有名だ。
 明治三十九年、千葉県鴨川市の老舗旅館に三姉妹の末娘に生まれる。昭和四年、二十二歳で日本橋は問屋のお坊ちゃんと恋愛結婚。女児を恵まれるも、夫は花札賭博に狂った果てに失踪。十年、実家の旅館を継いだ姉の急死に遭い、父母に説き伏せられ、義兄と結婚。家のためを考えてである。夫は良い人だ。だがどうしても好きにはなれない。
 女将稼業は些事多忙だ。鬱々とした日々がつづく。そんなとき真砂女は俳句と出会うのである。亡き姉は俳句の書き手だ。その縁で誘われるまま打ち込む。

  過去は運にけふは枯野に躓けり
  夫運なき秋袷着たりけり

 運に見放された幸薄い女。真砂女は辛いばかりの胸のうち思いのたけを作句に託す。そして女将になって二年後、三十歳のとき事件がある。

  口きいてくれず冬濤見てばかり
  男憎しされど恋し柳散る

 恋の相手は客の一人、七つ下の海軍士官。すでに妻があった。十三年四月、真砂女は家出する。折しも日中戦争たけなわ。愛しい人は長崎の大村に転属していた。ただもう士官さんを一目みたさ。鞄一つ持って下関行の特急に乗っていた。やっと彼に会えたが、喜びもつかの間、すぐに別れの時がくる。恋人は戦地へ行く。自分は主人の許へ。夫は黙って妻を迎え入れた。それどころか「家出の褒美でもあるまいが、二カラットのダイヤの指輪を買ってくれた」(「家出事件まで」)。

  鏡台にぬきし指輪や花の雨

 あるいはそのダイヤのだろうか。はたまた結婚記念のものか。真砂女は指に光るそれを鏡台に雨の音をききすむ。またこんな句もみえる。

  罪障のふかき寒紅濃かりけり

 罪障は成仏往生を妨げる罪業。寒紅は寒期に作る色鮮やかで美しい口紅。その背負った罪の意識のほど、あえて派手に紅を引き化粧する。
 ここに掲げる句をみよ。「人悲します」の人とは、相手の妻、さらには、自分の夫。どちらにも詫びようもない思いをさせた。もうこのまま自分を偽って生きてゆけない。
 三十二年、五十歳で離婚。裸同然で家を出た真砂女は銀座の路地裏に、カウンター九席、奥に小部屋が二つの小料理店「卯波」を開く。店名の由来の一句。

  あるときは船より高き卯浪かな

「人生も浪の頂上に佇つときもあれば奈落に落ちることもある。そして又浮かびあがる」(「銀座「卯波」開店」)。この明るさ。真砂女の人柄もあって、文人、俳人が出入りし店は繁盛する。

  黴の宿いくとせ恋の宿として

 初めてのアパート住まい。六畳一間。真砂女は振り返る。「……遂にボロボロ涙が出て来て情けないやら、みじめやらで何べん泣いたことだろう。しかしこのアパートの一年間の生活は私にとって幸せを噛みしめた一年であった」(「同」)じつはそこで恋人と一緒だったのだ。そうなのだが幸せは長くつづかない。

  幸は逃げてゆくもの紺浴衣

 どうしたって男には妻がいるのである。真砂女は言う。「この一年に生涯を賭けたようなものである」。一緒には住めない。だがしかしなお歯痒いような関係はつづいている。そうして突然、終幕がきている。
 五十一年、恋人は脳血栓で倒れ、以後植物人間になる。翌年、一度も見舞うことも叶わぬまま、愛しい人は逝く。

  かくれ喪にあやめは花を落としけり

 「かくれ喪」とは哀しい、真砂女の造語。「お寺の門の表の暗がりに佇ってひそかに一人で通夜をし、葬儀の焼香は彼の友人が夫人の了解を得てお別れが出来た。……私は南国の海辺生まれの陽の性格、彼は北陸の雪国生まれの陰の性格であるが、自分ではどううまがあったかわからない」(「句のある自伝」)
 愛人関係で四十年間。ようやく恋は終わった。真砂女は品のいい和服に帯をきりりと締めて店に出て、以前にもまし笑い顔を振りまいた。八十歳を超えて詠んでいる。

  今生のいまが倖せ衣被

「自分の長い人生をふりかえってみて、そして今生の句が生まれた。嘘、偽りのない現在の心境である。……過去の修羅は己が招いたもの、これを捨て去って久しい」(「同」)
 平成十五年三月、長逝。享年九十六。

(『生簀籠』昭和三十)

*『鈴木真砂女』(花神社)、『銀座に生きる』(鈴木真砂女 富士見書房)

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